去年の秋、かの香織から久し振りに届いた知らせ。それは、4年振りのアルバムリリースという嬉しいものだった。そこで発見した「日本酒造りを始めた」という目を疑うような一文。宮城に雪が積もるのを待って、彼女のいる蔵を訪ねた

 SWITCH 3 MARCH 2006 VOL.24 NO.3より
 写真:依田純子
 文:東屋雅美


 ミュージシャンかの香織に対する一般的なイメージは、ヨーロッパ・テイストのサウンドに乗せた耳に心地よいハスキーボイス−−といったところを基本に、「青い地球はてのひら」が放つ世界旅行感と、「午前2時のエンジェル」が持つ都会性を加えた感じ、といえば伝わるだろうか。要するに、オシャレなのだ。
 そんな彼女が、小さな蔵で日本酒造りをしていると聞けば、誰もが意外に思うだろう。もちろん、彼女が食文化に対して並々ならぬ興味と意欲を持ち、玄人はだしの料理を振る舞うという噂はかねがね聞いていた。しかし、ワインやリキュールならともかく、日本酒を造る彼女を想像すると、イチローがドラマに出演してスラスラと台詞を喋るのを見るぐらい、違和感があったのだ。

「私の実家は、代々江戸時代から続く小さな造り酒屋だったんです。でも、地震で土蔵が倒壊した後、細々と続けていた母も廃業を決意するに至って、何とかその火を消さないよう、私が携わっていこう、と思ったのが切っ掛けです。 幸い、入ってみると音楽との垣根はなく、たくさんのことを教えていただけて、今、すごく充実しています」

 彼女は蔵人・泉薫子として、先代の頃からの親しい蔵である萩野酒造に弟子入りした。造るのは米と水だけでできる純米酒。混ぜ物のない本物の酒だ。

「杜氏さんや職人さんは理論よりも感覚的な表現をすることが多いんです。例えば、日本酒度いくつで、アルコール度数何度で、こういうお酒にしたい、って考えるじゃないですか。そうすると、『いやいや、数値は単なる指標であって、もっと五感に耳を澄ませ。山の声を聞け。空の話を聞け。木と対話しろ』と。それを言われた時、私は今まで音楽をそこまでのテンションでやってきたかな、と振り返ったんです」

 我々が蔵を訪れた時期は、丁度吟醸酒の醪(もろみ)の発酵が行われていた。彼女の樽に耳をつけると、まるで妊婦の腹部で胎児が呼吸をしているような音が聞こえる。

「職人さんに言わせると『自然が全部やってくれますから、自分たちは余りいじらない』っていう感覚。なるほどな、って感動します」

 酒造りを通して得たことは、彼女の生きる姿勢にまで影響を与えている。

「体や心が欲するものに耳を傾けるようになりましたね。 人一倍落ち込みやすかったり、自分の感情をコントロールできないところがあるから、ポジティブな生き方のための本を読んだりして、それが自分には合っていないことがわかった。だから、見たい星は見るし、行きたい国は行くし、味わいたいものは食べる。それが自分に対しての感謝だ、って思うようになったら、野菜でも何でも、生まれてきたものに対して感謝するようになりました」


 澤蟹を ここだたもとに 入れもちて 耳によせきく 生きのさやぎを

 これは、大正の女流歌人、原阿佐緒の詠んだ一句。彼女の生家を保存した記念館に建つ石碑に刻まれたものだ。実は彼女、かのの血縁に当たる。

「ある時母と、どういうお酒を造りましょうか、と話している時に『阿佐緒』という名前のお酒を美味しい美味しいと言って飲んでいる夢を見て、造ったのが、この『阿佐緒』なんです」

 明治二十一年生まれの阿佐緒は、与謝野晶子に認められ「スバル」や「アララギ」などで活躍。相対性理論研究で日本を代表する理論物理学者、石原純とのスキャンダルは、最終的に彼を東北帝国大学教授辞任へと追い込む。その後も、ここでは書ききれないほど波乱に富んだ人生を送った女性だった。昭和四十四年に八十二歳で死去。

「自宅は(スキャンダルのために)いつも石を投げられてガラスを割られてしまうので、もったいないから新聞紙を貼っていたんですって。よくウチにも遊びに来ていました。あんな厳しい時代に奔放な人生を歩んだ人。余りにも自分の精神性とか、心の奥底にある愛情、人言えぬ憎しみなどを歌に書き過ぎて、結局、斎藤茂吉から破門されてしまったんです」

 彼女の長男は映画監督の原千秋で、次男は俳優の原保美(いずれも故人)。

「ウチは先祖代々旅人の家系だったんです。造り酒屋の倅だから、ちょっと掴みどころのない人が多かったんでしょうね。定職に就かず、いろんな所へ旅に行っては手書きの日記を書いていたらしいんです。それをびっしり収納してある書庫が酒蔵にあって、病弱だった阿佐緒は若い頃、そこでよく本を読んでました。それが文学に興味を持つ切っ掛けになったとも言われています」

 場所を純米吟醸「阿佐緒」を扱っている蔵王の旅館に移し、取材を続ける。テイスティングをしてみると、なるほど、与謝野晶子が「あなたのやうな純粋の叙情詩を作る人があるのを私は嬉しく思って居ます」(阿佐緒の処女歌集『涙痕』の序文)と書いたような清冽な香りをまず感じる。しかし、その奥にはしっかりとした米の存在感が続くのだ。それはまるで、歌壇を去った後も、バーのマダムや女優、作詞家として生きた彼女のしたたかさを表現しているようにも感じられた。

「いつも最高の飲み手でありたいな、と思って酒造りに関わっているので、無理せず、自分の範囲内で楽しみながら造っていく。どこか、無駄なことの中にも大事なこともある、っていう心持ちで造っていきたいですね。これを量産して売っていこうとは思いません」


 クラシカルでゴシックな雰囲気を持ったバンドとしてカルトな人気を誇ったショコラータを解散した後、九一年にソロデビューしてからは順調にアルバムを発表し続けたかの香織だったが、数年前からは、完全に自分のペースで活動をするようになった。

「自分が表現したい音ができました、って泣いてしまうようなテンションで作ったものがまとまった時に出せればいいな、って思うようになったんです。そのために自宅にスタジオを作って、自分でプログラミングをするようになった」

 音楽産業というシステムから一歩身を引いてみる。しかし、流れから大きく外れるわけではない。

「絶えず外界の刺激を受けながら、自分が単体である、ってことは選んでいきたいですね。大きな流れに呑み込まれないようにして、自分が良いと思ったことはやって、それが何の意味を成すのかはその後に考えようって思ってます」

 そうして生まれたのが、昨年発売になったセルフカバーアルバム『C』(ツェー)。これまでの代表曲に新曲を加え、ゆったりとしたアレンジが与えられた。

「やっと見つけた大好きな自分が作るもの、それも余り人を介在させないで手作りでやるのってどんなかな、と思って作ったアルバム。今のムードはギリギリの音程で歌うっていうよりも、もっと緩い感じ。物語を落ち着いて読むみたいな感じで作りました」

 発売されたばかりの最新マキシシングル「Believer」には、スティーヴィー・ワンダー作詞作曲の世界未発表レコーディング曲「Lead of the sun」が収録されている。

「楽曲を管理している会社でこの曲に出会い、ラブコールをしたんです。キラキラした名曲をどうしても歌いたいって。いろいろ苦労はしましたけど、それが縁でスティーヴィーが来日した時に一緒に演奏できたことが切っ掛けとなって、ロスに行った時に「阿佐緒」を彼の自宅に届けたんです。日本酒は好きだと言ってましたから、今頃は彼のセラーに入っているはずですよ」

 純和風の環境に育ったがゆえにパリやロンドン、ニューヨークでの生活が長かった彼女が、ある日を境にその視線をアジアに向けた。そして、今、その意識の中心は日本にある。彼女が子供の頃、遊び場にしていた酒蔵。そこに漂っていた微粒子のようなものが常に彼女の中にあったのだという。

「最初に蔵に入る時に蔵人さんに言われたんです。『蔵は和ですから』って。人のことを悪く言ったりして悪い空気を作ってしまったら、お酒に聞こえちゃいますからね、と。生ける物と純粋無垢な心で向き合う創造の聖地。『帰ってきたな』って感じがしました」

 長い旅を終えて帰ってきたかの香織。彼女もやはり旅人の家系を継ぐものなのだ。


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